あなたは、こういう“余計な観念”をもとに思い込んでいることってないですか?
・恋愛は、浮気がつきもの
・つきあいが長くなると、飽きられる
・連絡の頻度が減ったのは、嫌われた証拠
これ、さももっともらしそうな理由だけど、ぜんぜん違うよ?
・浮気しないで彼(彼女)一筋!って人、いくらでもいるよ?
・つきあいが長くなるほど愛着が湧く人だって、余裕でいるよ?
・連絡の頻度が減ったのは、彼(彼女)に安心したからって人いっぱいいるよ?
つまり、
恋愛は、浮気がつきもの
も
恋愛は、相手一筋になるもの
も、どっちも正解。
だって、それを設定した人にとっての「真理」だから、です。
一例を挙げると、その昔、めぐるは、紆余曲折ある恋愛ドラマが大好物でした。
そういうのを見過ぎた結果、どうなったか。
「恋愛=幾度も襲ってくる災難を2人で乗り越えていくべきもの」。
こんなナゾの観念が信念のように知らぬ間に染みつきました。
そうなると、こんなことが起きます。
・彼Aとケンカしたとき、手作りサンドイッチを車外に投げ捨てられる
(災難→怒!→ごめんねと言われ→ハッピーエンド)
・彼Bのときは、元彼女から突如呼び出しをくらい「Bとめぐるさんはくっついてほしくない」と泣かれる
(事件勃発→彼と話す→ハッピーエンド)
・母に「A君はすごいいい子だと思う。でもめぐるには合わないと思うわ」と交際を反対される
(激震!→泣きながら彼と別れる→ヨリが戻ってハッピーエンド)
みたいなことがそれはそれは多発し、そのたびに右往左往してましたが、なんのことはない、単にめぐるが設定した恋愛の定義(幾度も襲ってくる災難を2人で乗り越える)が見事に現実に反映していただけでした。
これに気づいたときには、自分の自作自演っぷりに驚愕モノでしたが、でも、これに近いことをやっている人は実は多いかもしれないなあと思うのです。
「恋愛は、浮気がつきもの」という観念があると、それを補強できる理由を探し出す
観念は、それを補強しようとするクセがあります。
「恋愛は、浮気がつきもの」
という観念のある人は、「友達の彼が浮気した」と聞けば「やっぱりね」「ほれみたことか」と言わんばかりにすぐさまその情報を「恋愛は、浮気がつきものだよねBOX」に押し込みます。反対に、「Aさんは結婚5年目なのにラブラブ度がすごいらしい」という浮気とは真逆の情報を聞いたときは、「はい、それは例外」と華麗にスルーします。
「恋愛は、相手一筋になるもの」
という観念のある人は、その逆です。「Aさんは結婚5年目なのにラブラブ度がすごいらしい」と聞けば「やっぱり!」「だから言ったでしょ」とばかりにすぐさまその情報を「恋愛は、相手一筋になるものだよねBOX」に押し込みます。反対に、「友達の彼が浮気した」という情報は、「はい、それは例外」と華麗にスルーします。
分かりますかね?
「恋愛は、浮気がつきもの」という観念のある人は、それを証明するような出来事を中心にかき集め、「恋愛は、相手一筋になるもの」という観念のある人は、それを証明するような出来事を中心にかき集め、“(自分にとっての)正しい観念”を補強していくというわけです。
人は、自分が見たいものしか見ていない、のです。
今の自分に窮屈な観念はぱっぱと捨てよう
恋愛は、浮気がつきもの
も
恋愛は、相手一筋になるもの
も、それを設定した人にとっては「真理」です。
「いやいや、恋愛は、浮気がつきものとかいらないよ」と不要な観念に気づいたら、どうするか。
「恋愛は、浮気がつきものと思ってたんだなー」と、いったんそのことを受け止めてあげればOKです。
拍子抜けするほど簡単ですよね?
でも、「観念は、気づいたら消える」とはよく言ったもので、本当に気づいたら消えてくれます。
「いや、なかなか消えないよ?」というときは、
「ありがとう」
「あいしてる」
「ごめんなさい」
「ゆるしてください」
を呪文のように心で唱えるホオポノポノを試してみてください♡
あ。復縁したい人は、ちゃっちゃと復縁すればいいだけの話なので、「どんな観念があるのか」と観念探しをはじめる必要はまったくありません。観念探しをする世界が広がったり、観念を見つけないと叶わないみたいなルールを作りかねないので。だから例えば、こんなとき。
「恋愛は、浮気するもの」
↓
「彼は、浮気しないよね……?」
↓
「彼の様子、最近おかしいんだよな…」
↓
「やっぱり浮気した」
みたいな、自分にとって不都合な観念が不都合な世界を創り上げていたのかー!と気づいたときのみ、ぱっぱと捨てればOKです!
その「常識」は、そのへんから拾ってきた実はどうでもいいものだったりする
自分がせっせと強化してきた観念は“常識”ぐらいになっていることがあります。
でも、その常識をどこで仕入れてきたか考えれば、紆余曲折ありすぎる恋愛ドラマだったり、耐え忍ぶのを美徳とするアニメだったり、テレビや世間が家族がそう言ってるなど、「そんなとこ?」って拍子抜けする感じのものばかりです。
案外、小さい頃に見た「試練がいっぱいあるヒロイン」が主人公のアニメが色濃く影響してることってけっこうあるあるです。
小公女セーラを筆頭に、裕福だったのに、ある日、親が不慮の事故、破産、死亡などでいきなりド貧乏に突き落とされるパターンとかw
そんなとこから、うっかり「人生は、我慢して、努力し続ければいつか報われる!」って思って観念が信念になっちゃったりするのです。
でも、「いらない」と思うことに気づいたら、今の自分にとっては“窮屈な観念”なのですから、いつまでも持っている必要はありません♡
♡めぐる♡
いつも気づきをありがとうございます。
ほんとそれそれ!
と首がもげるくらい頷きました。
私は平和で平凡な家庭に育ったゆえ
いつの間にかテレビや映画や漫画でドラマティックな人生に強い憧れを抱く多感な子供でした。
「その常識をどこで仕入れてきたか考えれば、紆余曲折ありすぎる恋愛ドラマだったり、耐え忍ぶのを美徳とするアニメだったり、テレビや世間が家族がそう言ってるなど、「そんなとこ?」って拍子抜けする感じのものばかりです。」
これこれこれこれ!
単純でアホ(超素直)な私は、
なにそれ!超かっこいいんですけどー!!
って幼少期から長年採用し続けてしまって、
すっかりデフォルトになっていました。
だからかー。
強く私の恋愛はなかなかうまくいかないという観念に気づけました。
ありがとうございます。
もっとあっさりするっと超ラブラブで、超ラブラブが良いです。
そういう世界を創造できる力があるってことですよね。
グッバイ!観念
てか、純粋に採用してた私、可愛すぎる!(自画自賛)